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読者最適化し過ぎるとポルノを書いてる気分になる

こういう言い方はちょっと傲慢なんだけど、最近は記事の中身より、mizchiっていう名前のほうが先行してしまい、何書いてもバズってしまって拡散される傾向がある気がしている。

セルフブランディングの成果といえばそうなんだけども、最近は敢えて推敲せず適当な文体で読みにくくしたり、トレーサビリティを落としてソーシャル避けしたところで、コンテンツを投下していることがある。それによってバイアスのないコンテンツ評価をみようとしている。

pplog とか、昨日の 気づいたらプログラマになってた話 とか。 次の記事書いたら消えるpplogにブクマつける人とかいたり、bespoke.jsで生成したスライドはスライド毎のパーマリンクごとにブクマが分散して伸びにくかったりした。bespoke.jsについては結果論だけど

書き手は読者によって強化学習される

エンジニアに向けた記事は読者のレベルからか自浄性が高く、どんなにマーケティングを心がけても、コンテンツ性の有無によって伸びる記事と伸びない記事が淘汰される。わかりやすくてよい世界だと思う。

人間は学習と報酬系の生き物なので、伸びるパターンを経験することで、記事の方向性や、文体が調整されていく。僕は昔から、12歳時から今に至るまでの13年間、個人の掲示板、日記サービス2chTwitter, ブログ、その他いろんな場所で、方向性は問わず文章を書きながら過ごしてきたので、割りとどこでどういうテキストが好まれるかわかって、その通りに振る舞う。というか、振る舞ってしまう。

読者最適された、耳障りのいい物語

たぶん僕はエンジニアよりもアジテーターの方の才能の方があって、とはいえその才能が好きかどうかっていうとかなり微妙なんだけど、書き手としての人格をソーシャルに読者最適しまくったせいか、結果としてある種のポルノを提供している気分になることがある。

記事を書いてるときの自分は、読者に要求されるであろう仮想ペルソナで振る舞うので、文体や展開に引きずられて、「こういったほうがかっこいい」とか「こういうことにしといた方が都合がいい」とか、思ってもいないことを書いてしまっていることは、多々ある。ブログ書いてる人なら絶対経験したことあると思う。

たとえば、「プログラミングなんて、やれば誰でもできるよ!俺は大した人間じゃないけどできたよ!」と言ってしまう時、それが読者の望む言葉だとは知りつつも、このコンテキストに含まれる卑下も増長も取り去った時、もしかして一番残酷な言葉になりうるのではないか、と懸念していたりする。人間の能力に優劣をつけるのは本当に難しくて、とくに自分の能力の優劣なんて言及不可能だ。自分を基準にした物語を語ることは誰でもできるんだけど、再現可能かどうかは全く別の話。

じゃあどうするの

この文章にオチはない。「都合のいい物語」にすごいとか便利とかコメントしていると、世の中それで溢れてしまう。そんなのつまらないから、つらいものと向き合う辛さがないといけない、みたいないい話にしようとしている自分が嫌だ。つまらん。ごめん、本当にオチはないんだ。

pplogでやれ。